「明るい豊かなまちを築きあげる」には
ようこそお越しくださいました。後藤 恭平です。このサイトを通じて私がどんな活動し、これから何をしようとしているのかを皆様に知ってい頂きたく開設しました。
現在、私は仕事とは別に青年会議所の活動をしております。この活動は、簡単に言うと「まちづくり」です。この「まちづくり」、言葉では簡単ですが、行動に移すと大変なのです。
多岐に渡る「イベント事業」に加え、毎月行う「定例会」、全て「明るい豊かなまちを築きあげる」ために大いに必要なものです。
会員の会費のみで成り立っている青年会議所は事業のために使うお金に対して非常にシビアで、その中で意義のある事業を実行するには、目的や手法、必要性等、誰が見てもわかりやすく理解できる事業計画になっていなくてはなりません。
私はこの活動を通じて、どんな「まち」が理想でどんな活動だと市民の心に響くのか、心に響いた後にどんな仕組みが必要なのかを日々考えるようになりました。
そして、「この国の国民として、吹田市の市民として、3児の父として」安心して暮らせる未来を残したいと強く思うようになりました。このままではいけないのです!ぜったいに!!
後藤恭平の生い立ち
私のことを深く知って頂きたいので、生立ちから見ていただきたいと思います。
非常に複雑な家庭環境で育ちました。
私が幼稚園を卒園する頃両親は離婚しました。私の物心ついた頃から父は月に1度程度しか家には帰ってこなかったので、今思えばその頃から両親の仲は良くなかったのかもしれません・・。
そんな月に1度程度しか帰ってこない父が大好きで、お父さんっ子だったのをよく覚えています。
子供ながらに離婚の意味を理解しようとし、2度と会えないかもしれない父のことを必死で忘れようとしました。
祖父母の元で生活している小学生時代、母は朝から夜中まで私と2歳年上の兄のために仕事をしていました、私は小学生ながらも夜中まで母が帰ってくるのを一人で起きて待っていたのを覚えています。
私が中学校に入る頃に母が再婚をすることになり、兄は祖父母の所、私は母と新しい父と母のお腹にいる子供(弟)とで吹田市に引っ越し、吹田市立片山中学校に転校しました。
新しい父は再婚してすぐに会社を倒産させました。私は貧しさには慣れていましたが、弟が貧しい環境で育つことや母がずっと働くことがどうしても許せなかったのを覚えています。
高校受験の時には必ず公立高校に入らなければならないプレッシャーの中で摂津高校を受験し、無事入学する事が出来ました。そして、入学後母は再び離婚しました。
高校時代スタートは母と兄と私と弟の生活でした。私は弟が大好きで、よく保育園に送り迎えをし、運動会や参観、発表会等に参加しました。今でも弟の成長は楽しいものです。
高校3年になるかならないかの頃、色々と悩みました。このままでは今の家族どころか私が築く家族など生活できるわけがない、人のためになんて言っていられない、そしてそこには成績なんて全然関係ない。でも、大学に行かないと偉くもなれない・・。
そう考えていたのを最近のように思い出します。
これまで大学に入るまでのことを書きました。
幼少時代から環境の変化に翻弄されながらも、勉強やスポーツによく励みました。それは、母の愛情に育まれ、貧しいながらも生き抜くことの大切さと、生き抜くことの難しさを教わりながら育ったからです。幼いころから母を心配させたくない、母が自慢できる子でいたかったという気持ちでいっぱいだったから頑張れたのだと思っています。
私の子供に対する接し方はこの幼少時代から学生時代までに培われたものだと思っております。
これから書く大学時代から現在までは子供の頃に培われた忍耐があってこそだと思っています。
大学受験はたまたま高校に指定校推薦というのがあり、大阪工業大学の土木工学科に入学することができました。ただ、お金がなかったので、昼間の大学は1年間だけにして、2年目からは夜間に転部することに決めていました。当然奨学金を借りています・・。
お金持ちになるため会社を作ると心に決めて行った大学です。ただ、私は汚い社会や汚いお金は本当に嫌いでしたので、地道に頑張る道を選びました。2年目からは夜間で土木を学び、昼間は測量会社に勤めました。本当に過酷でした。週のうち6日間、朝6時半に出社のため5時半頃に起き、昼間は現場で測量作業をし、夕方には現場からそのまま大学に行き、10時頃に家に帰り、資格取得のため数時間勉強をするという日々でした。
1年半程してから、測量の分野には土地家屋調査士という仕事もあることを知り、土地家屋調査士事務所に転職しました。
大学を卒業する頃、土木業界は大不況だったので、取引先に多かった不動産会社に就職することにしました。
大学卒業前に妻と出会い、すぐに子宝に恵まれ結婚しました。子供が産まれてからでは身動きがとれないと思っておりましたので、勤めていた会社を半年で退社し、大学時代に貯めた200万円を持って不動産会社を起業しました。
当初はお客さんもいなければ仕事もない状態でした。その頃は夜中にホテルでバイトをしていました。子供の顔を見るたびに不安になって眠れなかったり、母や弟と話をするのも辛かった頃もあります。
ですが、日々真面目に必死で営業をし続けていたら、仕事をもらえることが少しずつ増えていきました。悪いこと等せず、真面目にすること、それだけで軌道に乗る事ができたと言っても過言ではありません。仕事が軌道に乗り出した頃、仕事の合間に土地家屋調査士の試験勉強をし、資格を取り、学生時代に取得した測量士の資格もあったので、測量会社と土地家屋調査士事務所も興すことができました。実務は学生時代に働いていたので、すぐに業務を始めることができました。
私が24歳で1人目の女の子、27歳で2人目の男の子、30歳で3人目の女の子と3人の子に恵まれたのも、仕事が一人前にできるようになったのも、ここまで頑張れたのは全て母のおかげだと思っております。一人で一生懸命私と兄と弟を育てる姿を見ていたのが、私の源です。
これからは親孝行や自分の子供に母から受けた恩恵を返すだけでなく、自分の周りの人々やもっと大きな視野で自分の受けた恩恵を返していきたいと思っております。
そもそも私は、政治家というのは、自分自身の人生観に新たに学んだりしたことを付け加え考える。そういった考えで成り立つものだと思っております。人生観が基礎にあるのが大前提だと考えます。
だから私は自分の今までの人生を基礎に、政治に生かしたいと、そのように思います。















